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ルドルフ・シュタイナーやゲーテ的な人間観が どう神道によって承認され、またその逆ができるのか、 人間とは一体何なのか、かなり意味不で判り難いブログ
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先日のテーマもそうですが、
何故『諦め』を取り上げるのか、には幾つかの理由がある「世界」なのです。

では手短に本題に。
進化の真相 : Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen
GA132 の 3章目 を ググッて お読みください。
私はこの講義を反対方向(地球>月>太陽>土星)で内面化していますので、
後半>中盤>前半 と読んでいますので、ご注意を。

『Ueberall, wo Wasser ist in der Welt, ist Gotterverzicht. 』
(水のある所にはどこでも、神の拒絶があります)

この記述はどこかで聞いた事がありますね。お分かりでしょうか?
水とは何でしょう?神道というのか、カンナガラ、神の道では何だったのでしょう?
水とは、一部の神道でも、「無私」の精神なんです。
シュタイナーが観察する物は、状態の4分割です。
熱・気体・液体・固体 です。
神道では、  火 水 土 です。

私は以前、西洋では四大精霊と言い、東洋では五元素と言う等等、概念図式が妙に、
気になっていました。私の上の世代のアントロに関わる人間は本当にそうです。

しかしアントロポゾフィーの成果は、図式ではなく、内面にあります。という事は、
『神秘学概論』に書かれている事ではなく、このような講義を血肉にする事が吉です。

火水土はさしあたり西洋神秘学と、十分に整合性が取れます。しかし図式ではなく、
もっと近づいて経験するべきでしょう。ここでの水がそうです。講義の5章目は、
土という元素が、「死」と切り離せない関係にある事がありますね。

火は縦です。 水は横です。 水は無形、世界に従っています。

神道の意味で水は透明、無内容、自分を持たない、母的な要素を持っています。
ちょっと戻ってドイツ語の確認です。(英語版の確認はしていません)シェーマにします。

火:存在Tによる存在Kへの犠牲(ささげモノ・供養・供儀):美的モラル的:熱 <Opfer
((風:贈り与える徳  <schenkende Tugend))
水:『断念・諦め』<Verzicht / Resignation
((土: ))

講義の内容が私には難しいので今日はこれまで。

小話として:
無限への挑戦が宿命付けられた、種族とはこの地球上にいるのだろうかの世界
そういう話としては、カインの額に付けられた”印”があります。
それは『額の傷』として顕わされるでしょう。

技術者としてのカインはそのままFreieMauereiに繋がります。
技術者としての医者はモラルが問われません。腕だけです。
モラルを切り離した医者も、技術的には必要な様に、
カインそのものが人類の内面的な強さや進化に必要なのだろうか、と問いたくなります。
カインは如何に人類を促進させるのか、という疑問です。

そこに一つの道があります。
『敬意を払え』
『諦めの道』
そのような片鱗が私の最近の「世界」です。
無限へと続く、力の源―そんなものは私には存在しないかも知れません。
しかし畏敬の念と諦めの道は、アントロポゾフィーによれば、霊界への道を開く道です。

技術は傍らにある。そしてそれは友、強敵と呼べるライバルの存在を予感させます。
カインの道は友情の道と呼べるのかも知れません。しかしそれは霊性にとってどのような
存在になるのでしょうか。まず問題となるのは、霊性には技術は必要でしょうか?

難しすぎるのでまた今度にします。








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