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ルドルフ・シュタイナーやゲーテ的な人間観が どう神道によって承認され、またその逆ができるのか、 人間とは一体何なのか、かなり意味不で判り難いブログ
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今日からすべて、ほぼ全てGA59から引っ張ってきます。
量が違いますから聴いて下さいね、大晦日には第九も登場します。

第Ⅰ幕 トロヤ戦争の背景=美の競演

ギリシア文化>ダンテ>シュークスピア>ゲーテ>ワーグナーの流れです。
東洋と西洋の激突には月、復讐、美が関連していきます。今回はトロヤ戦争からです。

『この戦いには、人間の自我に発する熱情や欲望、考えによって引き起こされるところの
敵意以上のものがあったのです。この戦闘の中でぶつかっていたのはトロイとギリシャの
単に個人的あるいは部族的な感情なのでしょうか?そうではありません!太古の意識と
ホメロスの意識とのつながりをしめす伝説が告げるのは、ヘラ、アテナ、アフロディテの
三女神がいかに美の競演において競り合っていたか、そして、いかに人間であるトロイの
王子パリスが美の鑑定家として、そのコンテストの判定をするように指名されていたか、
ということです。パリスは世界中で一番美しい女を彼の妻にすると約束していたアフロディテに
賞を与えました。その女とはスパルタ王メネラオスの妻、ヘレネでした。パリスはヘレネを
獲得するため、力ずくで奪い取らなければなりませんでした。この蹂躙への仕返しとして、
ギリシャ人たちはその国がエーゲ海の遥か対岸にあるトロイ人たちに対して武装し、
そこで戦闘が起こったのです。

 何故、人間の熱情がこのようにして燃え上がったのでしょうか、そして、何故、ホメロスの
ミューズが語ったようなできごとすべてが起こったのでしょうか?それらは人間世界における
単に物理的なできごとだったのでしょうか?違います。ギリシャ人たちの意識を通して、私たちは、
人間たちの戦いの背後に、女神たちの敵意が描写されているのを見るのです。当時のギリシャ人は
次のように言ったことでしょう。「私は、人々を激しく対立させるようにした原因を物理世界の中に
見出すことはできない。神々とその力がお互いに対峙するより高次の領域を見上げなければならない
のだ。」、と。当時、このようなイメージの中で見られた神的な力が人間どうしの衝突の中に
働いていました。こうして、私たちは、詩という芸術における最初の偉大な作品、ホメロスの
イリアスが人類の太古の意識から生まれてくるのを見るのです。

東方においては、古い超感覚的な能力は比較的後の時代まで持続しました。西方のヨーロッパの
人々の間では、超感覚的な能力はそれほど広くは存在していませんでした。それらの人々の中では、
強力な自我感情が前面に出てきていた一方、他の魂の力や能力はまだ比較的未発達だったのです。
この自我感情は、ヨーロッパの異なる地域で非常に様々な仕方で現れました-北と西では異なって
いましたが、特に、南においては異なっていました。キリスト教以前の時代、それはシチリアと
イタリアにおいてもっとも強力に発達しました。東方の人々が長い間自我感情を持たないままに
留まっていたのに対し、ヨーロッパのこれらの地域には、古い超感覚的能力が失われていたため、
特別に強い自我感情を持った人々がいたのです。精神的な世界が人間から外的に失われるのに
比例して、彼の内的な自我感情が点火するのです。

こうして、ある時期、アジアの人々の魂と、ここで考察しているヨーロッパの各地に住む魂との間には
大いなる違いがある、ということにならざるを得ませんでした。彼方のアジアにおいては、
いかに宇宙の秘儀が依然として偉大な夢の像として魂の前に生じるかが、そして、いかに神の
行為が人間の精神的な目の前で展開するのを目撃することができるかが分かります。そして、
私たちは、そのような人間が語ることができるものの中に、何か世界の根底に横たわる精神的な
事実に関する古い説明のようなものを認めることができます。アジアにおいては、古い霊的な
能力が、それに代わるもの、すなわち想像力に取って代わられたとき、これは特に視覚的な象徴
を像の形で生じさせました。西方の人々の間では、特にイタリアやシシリアにおいては、
それとは異なった能力、しっかり根付いた自我から生じてくる能力が、一種の力の過剰、
すなわち、いかなる直接的、精神的な視界も伴わないけれども、見えないものに到達したい
というあこがれによって浸透され、魂から発生する熱情を生じさせたのです。ですから、
ここには、いかなる神の行為の説明も見出されません。何故なら、そのようなことはもはや
明らかではなかったからです。けれども、魂が、語りと歌の中に表現される熱烈な献身をもって、
ただあこがれることができるだけの高みを希求するとき、古い超感覚的な意識が翳った後、
今や見ることができなくなった力に向かう原始的な祈りと賛美歌が生まれました。

 それらの中間に位置する国、ギリシャにおいて、これらふたつの世界が出会います。
そこには両方の側から刺激を受けた人々が見出されます。東方からは像のような視界が、
西方からは見ることができない神的-精神的な力に捧げる献身的な賛美歌に霊感を与える
ところの熱情がやって来ます。』


第Ⅱ幕 月夜のイリュジオーン ユダヤ教

大本から続く霊統ではこの”月”が歴史観に大きな影響を与えています。
月の存在が世界史の解釈に光を与えているのです。

それがインドから以西の”月の刻印”です。またシュタイナーもヤハウェは
(月)の神だと述べています。ユダヤ教の月の神は、太陽神の反映であった、と
いう事になります。

ではどういう事に一体なっているんでしょうか?
シュタイナーの現在未訳になっている部分とかを読んでみる事も必要ですが、
『ヨハネ黙示録』を読めばだいたいどういう事になるか判るでしょう。
シュタイナーは将来、月が地球に合体する、と理論上では教えています。
その時、人類は一体どうなっているのかは、私は知りません。しかし、
『ヨハネ黙示録』の神秘図に、”月を踏みつける女”が見られます。
人間は月を克服します。これは同時に地球に月の叡智が合流する事です。

ここがシュタイナーの最も重視する月の叡智であり、東洋の秘密であって、
まずその中に生殖の秘密(神道のスにも関係します)も含まれます。
これはエデンへの人類の帰還です。しかし月とは一体何なのか?です。

まず、歴史を見てみるのが一番速いでしょう。太陽は魚、月は蛇です。
シュタイナーの歴史観では、太陽が地球から離れ、月が地から離れました。
昨日の”蛇”が月の道なのです。それは土星時代に意志、太陽時代に感情、
月時代に思考を産み出した事、が人間の歴史と正しく対応している事です。

そして月期と呼ばれる太古の時代に、思考によって”智”が形成されました。
それが私達の世界史に映って、ヘブライ・ユダヤ民族が”思考”を産みました。
人類で始めての思考の祖は、ユダヤ人の祖アブラハムなのだ
とシュタイナーはいうのです。そしてそれがギリシアとの関わりにおいて、
”肉体"の復活論を生み出します。キリストが復活するという勝利者の思想です。
ギリシア人が彫刻に”体”の完成美を見た時、彼らは”体の完全性”を慕いました。
それがギリシア人とユダヤ教の合流によって『ファントム論』になります。

ユダヤ人の神ヤハウェは嫉妬深い神”だと自ら名乗ります
ユダヤ人と月の結び付きは後に決定的に重要になって来ます。キリストを憎むのも
ユダヤ人の秘儀参入者達や律法学者であり、キリスト(太陽)への嫉妬です。

月とユダヤ、月とギリシアには深い関係があると思います。最高の理性に到達した
ギリシア人達は思考能力の代表者です。それは月=思考=知の連鎖です。

月というのは両義性があり、こう言える事は確かです。:
母なる命が火(智)の神を産んで死んでしまった為に、火は母を探すのです。
知というのは死の影そのものです。知とは生命的なものを殺します。
知や思想というものが主義を産み、それは剣(自我の剣)です。武器です。

太陽神が宇宙なる父と直接、火で結ばれている事はハッキリしています。
しかし人類は月とは水でも結ばれており、それはマリア(=AVE・MARIA=エヴァ)で、
つまり月は地球(子供)に対する母の役割になります。地球が月に守られなかったら、
揺り籠・地球は太陽の父の厳しさだけだったら別の状態になったと推測できます。

しかし火の教えの父の厳格さから見れば、月の母Evaに守られて堕落している事を
子どもは成長によって、つまり女性Mariaとの結婚によって母を克服しなければ
なりません。女性性の反面を切り捨てるのです。それは聖化されるマリア
なのかも知れないし、オデュッセウスとナウシカの関係かもしれない。
宮崎映画のヒロインが主人公と結ばれないのは得てして良心的です。
ニーチェもまた知について月の”反射”と関係していることを述べています。


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