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ルドルフ・シュタイナーやゲーテ的な人間観が どう神道によって承認され、またその逆ができるのか、 人間とは一体何なのか、かなり意味不で判り難いブログ
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夢とは何でしょぅ?

未来に見る夢、時間的に逆向きの夢、、、それが将来のドリーム。
過去に見た夢、今朝見たばかりの夢、、、それが過去の夢。ソーニョ。

両方ともヴィジョンの形をしている。それが気になる。

理想像やドリームはあまり映像ではみないかもしれない。
夢(ソーニョ)は映像でハッキリ見ざるを得ないですね。

僕の感覚で言うと、歴史=夢(ソーニョ)だと思う。それはシュタイナーのLehre(説)を
読みすぎているセイかもしれない。彼は人類の過去の意識を夢意識と定義づけている。
夢意識とは現実意識の蓋の下に拡がる人間の意識層、とここでは簡便に説明して本題に。。
リアリズムという言葉が、現代にふさわしい様に、人間は過去において、果てしない記憶、、
というのを基本にして生きていた、、、、というお話。そして歌の文化があった。和歌もそう。
ドイツの吟遊詩人が長編を歌い上げた、というのも、そういう事で、どこの国でもそうです。
そういう事ではギリシャから伝わる、ヤンブス等の技法・伝承は、今で言う数学・算術や
パソコンの基本的なスキルや単にノートをとる事と同じ様な、当たり前の前提なのでしょう。

話が長くなりますので、ここで、本題に入りましょう。
①僕は大学の頃くらいからか、夢日記をつけていました。
②それがスイスに滞在していたある時、引越したせいか、1年間も、悪夢を見るようになる。
といっても女性関連です。恋性愛でウナされる感じです。思念が離れず増幅する感じ。
③それがあるセレモニーで、突然消えるという信じられない悩みの解消ができ、
④それ以来、夢に拘ったり夢を見るのはちょっと面倒になり、記述しなくなりました。

皆さんは雑夢と、それ以外の夢、で分けるという事をされていらっしゃいますか?
夢日記を書く基準として、雑夢は省く、というやり方をとると簡便でいいかもしれませんよ。
雑夢とは内容がたわいなく、日常の続きで、平凡で注目する所のない夢です。
それ以外は、例えば心の深層に関わる事や、非現実的な夢、解釈できないモノ、等です。

Blogはノートが要りませんから、過去に貯まっていかないのが良いです。
私は雑夢は書きませんし、あまり人には公言できない種類の夢もありますので、
気になる夢を(今日見たものですから)書いておこうかなと思います。
友人もこのBlogを読んでくれているようで、読まれる方に私は気恥ずかしい限りですが、
何かの不思議感、”あの世に行ってきた感”=”果てしない冒険感”など、”感”共有をネタに。

ともあれ、プライベートな事は嫌いな方は読み飛ばして下さい。だいたい人の夢なんて、
あまり興味深いものじゃないかもしれませんね。カテゴリはil Sogno、イタリア語で”夢”です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
誰かといる。何らかの犯罪を犯してしまう。(性・窃盗・強盗犯罪ではない)
ビルに登り、逃げながら阻止を図る。銃もしくは中距離でも有効な何か?を持っている。

最上階で防衛線を張るも、相手は一人だが強く、(ボディーガード風)
相方(助言者・アドバイザー)が殺られる。
私は追い詰められたと認識、ビルから落下逃走、落下する過程で、
危うい、その場凌ぎ的な足場を利用し、地上に逃走。。

国境を越えて、警察を撒こうと意図し、近い国境線を目指す。(地図では南仏あたりか?)
スピードを上げるも、チェックが多い。指揮しているのは老人。
その大量の人海戦術も、その老人の力量不足で”アワヤ”の所で脱出成功。

脱出後も他の国に逃れつづけ、顔的に、日本人(旅行者)に知られると非常にマズイ。
リゾート型先進国に来るが、ニュースにもうアナウンスされているので、時間の余裕がない。
(どうやら日本人にかなり敵視されているようだ。それは自分が顔バレを避ける為か?)
誰かと電話で連絡を取り、安全に予定地を確保した上で、そこまでは危険だが逃走。顔を隠す。

逃走途中に大量のオバちゃん(仲居さん風)が出入りする仕出し場(広い座敷:畳)が見える。
オバちゃんが時間になって仕出しされる口に群がる。
その大きな部屋(200畳x5m以上)を越える間口に、大きな出口があり、光。通過する。
経過は覚えていないが、イタリアのレストランに着く。ここで目的の人物と会う。それがGoalだ。

目的地、そこでは私はアドバイザーと会い、落ち着いている。トイレで席を立ったりすると、
ウェイター、コックがすれ違う度に全員、私に前エプロンを”なすりつける”。

わかったのが、どうやらそれは最高の尊敬の念を表している、儀式(に近い行為)、だと気づく。
全員男なのだが、沈黙にも雰囲気で、またその口からの賞賛で尊敬の気持ちが判る。

察するに、こうだ。私の犯した犯罪は、ここでは、この国?この結社?このレストランでは、
非常に価値があり、英雄的な行為であり、尊敬に値する、のだと。まさに男の社会か。
そして日本?では正反対に犯罪として敵視され、認識され、追われる立場にある、と。
レストランの男達の尊敬の眼差しで、確実に安全な場所来たところで、このドラマは終わる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
初めて見るタイプの夢だ。
だからまた夢をメモしておくのだが。。
察するに、心境としては、助言者居なくなった分の逃走中は、精神的に不安があった。
電話に誰かと連絡が取れて安全が確保される段取りで、また安心が回復した。
レストランではその様な結末があって驚きだった。前掛けが擦り付けられた時は、
一体何をするのだ?と思ったが、状況が変なので、理解した。

夢を分析する前に、既に面白いのは、「男色」に関係がある、という事だろうかw
話を面白くすると、「前掛け=性器の部分」、という事で、なすり付けられているのだから、
かなりY刹か。女性の深層心理?で言うとこんな引き手が数多な状態は歓迎なのだろうが。

話を掘り下げまたは象徴表現でいくと、こうだ。『エプロン』というのは『職人』を顕している。
『尊敬』と『男性』は『マイスター』に関係する。

もう一度話を面白くすると、「食物に関する、オバちゃん」は夢では好意的な事を挙げよう。
つまり、何かしらのエネルギーを与えてくれる存在だった。(かなりウケル)
その性的なイメージが、「食物」に関連しているのは、実際何かを提供するのだと思う。
食べる事とは何を現すのかは、皆さん、知っているでしょう。異性と何か食べる。
そもそも仕出し口の光景をまざまざと覚えていて、食べませんが、据えられているのです。
その場所が裏方である、というのも面白いのかも知れませんね。

また戻ると、『アドバイザー』とは、『依存する相手、安心感のある存在』であって、
夢の中では最後の存在は会社のエージェント風なのです。私の年齢を考えると、
「天使かドッペル」という答えは、心理学やスピリチャル的には合格だと思います。
実際はどうことかは私は判りませんし、判らなくて良いと思っています。最後の助言者は
私にとって最初の助言者よりも性格がなく(薄く)、意義も少ない(Goalした後だから)です。
最初の助言者のヴィジョンに生き方を左右される気がしますし、”同胞”的な感があります。
そいつは同性で年も似ている。それに比べ後者は”完全”的な感があり、内容は薄いです。
ドッペルとはドッペルゲンガーの事で、自分の分身の意。最深層心理やカルマに辿れます。

オバちゃんがどうして美女でないのか?(微笑)
年を経た蛇は両義性があります。処女以上の精神性はやはり持っている訳で、
残酷さやまた違った視点を問題にすれば、オバちゃんとは色々解釈できると思いますが、
夢と同様、スルーしておきます。

他人の夢なので”実感”が湧かないと思います。が、このストーリーはスリルがあるので、
映画にできそうw 犯罪の内容を脚色すれば、面白い結末が待っている仕掛けができるかも。
ま、そんな事に興味もありませんが。

私の今まで見た一番印象的な夢は鬼の様に、仁王立ちする祖母に、
忍び込んで這いつくばった体勢で体を起こし、半ば座り込んだ形の自分に、
脇腹を槍で刺されるというものです。その際、祖母の両眼の黒目は外側を向いていました。
ああキモ・・・。まるで閻魔大王のようでした。そういう夢があって夢日記を始めたのかも。

夢を公開するのもなんですが、ま、いいでしょう。
プライベートよりもプライベートですよね、夢は。
現実に自分の考えている事とは嘘が多いです。最近判ってきたのですが。偽善になりやすい。
良いと思ってやっている事に限って、単に頭が考えている事で、自然じゃない。非現実。
人に自分を説明する事ほど自分に嘘を吐いていることはない、って思う。
それは正しく自分を見れているのなら、勿論そんなことは全く無く、むしろ正しい行為です。

ただ自分というものを間違って理解した場合、ちゃんと説明しているにも関わらず、
ちゃんと説明する事が既に間違っている、という事になります。恋愛だと良くある例です。
それが人生に適用されるとなると、まだ抵抗がある時代なのだ、と思います。

そもそも自分に嘘、物事に嘘、を吐くというのは無知が原因だということがあります。
なかなか真実に至る、という事は難しいと思います。それは自分を知るという事。
自己認識という意味はアントロの場合、”タイプ”がある事に気づきます。狭い自己認識、
は今の文脈でOkでしょう。自分の内面を単に知る、ということは自分の狭い知恵です。
大きな自己認識は人間そのものの知恵、人類の知恵、宇宙の知恵という事です。
では何故無知なのか?そういう所に我々の起源を求めるのが当面、課題になります。

ではまた次回。。








 

 













 

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